エンゲルス著『空想より科学へ 社会主義の発展』大内兵衛訳、岩波文庫を読んでみた。表題からして、空想することが科学への第一歩であるような印象を持ったが、本書でいうところの空想というのは理想の社会構造であり、その理想を実現させるための社会とはどういうものになるのかということを考察する。エンゲルスは、サン・シモン、フーリエ、オーウェンの思想に批判を加えながらもあるべき社会を構想する。
何かを生産・製造してそれを売ったり買うことで経済は成立している。企業は、業績を向上し続けなければ存続出来ない。ものが売れなくなると収入が減り経営は行き詰る。業績を出し続けるためにやらなければならないことは、売れるものを売るということである。売れないものを生産、製造しても徒労に終わってしまう。ものが売れないと財源が減り、今度は投資や購買が抑制される。リストラもしかりである。市場が大きくなればなるほど、情報を把握することが売れる力となる。情報を入手するためには、情報を求めることが必要である。インターネットによって飛躍的に簡単にさまざまな情報を入手出来るようになったが、インターネット上で入手できる情報は地球上で交わされている情報のほんの一部であることを日々感じている。ネットでは把握できない情報が現場や現地にはたくさんある。ネットで把捉出来ない情報の価値がこれからは求められるような気がする。
現代社会では、豊富に持つ者と持たない者の二極化が進行している。持たない者は、自らの意志で持たない場合と自らの意志ではない場合とがあるけれども、自らの意志で持てない場合は、何とかして持てるようになろうとする。豊富にものを持ちたいという欲求が競争心を育む。この欲求が人間としてあるからこそ、より良い社会を求めて科学技術が発展していくのも事実である。しかしながら、人間社会は、なかなか思うようにいかないのである。計画通りにいくなんてことはとても少ない。かといって計画なしに進めることは出来ない。また思うようにいかないから、思うようにいったときの喜びは大きい。
戦後の高度経済成長が終わりバブルがはじけて、何でも右肩上がりということではなくなってきた。山あり谷あり、栄枯盛衰、主客転倒、世界情勢はどんどん変転すると思えば明るい未来もみえてくる。
本書を読みながらマーキングしたところを下記に引用する。
「エンゲルスはこの本のドイツ語第一版の序文の終わりのところに『われわれドイツの社会主義者は、ただにサン・シモン、フーリエ及びオーウェンを祖とするのみではなく、カント、フィヒテ及びヘーゲルの流れをくんでいることを、われわれの誇りとするものである』といっている」(12ページ、訳者序より)
「文明社会においては貧困は豊富そのもから生ずる」(43ページ、空想的社会主義より)
「すべては、もとのまま、もとのところ、もとの有様にとどまっていない、変わらないものは何一つない、すべては動き、変化し、生成し、消滅する」(53ページ、弁証法的唯物論より)
「なお一層厳密に考察してみるならば、われわれは次のことを見出す、すなわち肯定と否定というような対立の両極は、対立していると同時に相互に不可分である、また、どんなに対立していても対立物は相互に浸透したうものである、同様に、原因と結果といっても、それは個々の場合にそういえるだけのもので、そういう個々の場合をわれわれが世界全体とひろく関連させてみるならば、むしろ普遍的な交互作用という見方に解消してしまい、そこでは原因と結果とは絶えずその地位をかえ、いま結果であったものが、やがてすぐ原因となり、さらにこんどはそれがまた逆になったりするのである」(56ページ、弁証法的唯物論より)
「労働時間を短縮する最も強力な手段は、労働者とその家族の全生活時間を、資本の価値増殖に自由に使用しうる労働時間にかえる最も確実な手段となるのである」。このようにして、ある一人の過度の労働が他人の失業の前提となり、また、消費者を求めて全地球をかけめぐる大工業は、国内大衆の消費を飢餓の最低限にまで制限し、これによって自国の国内市場を破壊するのである。(76ページ、資本主義の発展より)
「資本主義社会では、生産手段はまえもって資本に、すなわち人間労働力を搾取する手段に、転化していなければ、その機能を果たすことはできないからである」(79ページ、資本主義の発展より)
「資本家の一切の社会的機能は今や月給取がやっている」(82ページ、資本主義の発展より)
「われわれの知るかぎりでは、物質と運動、すなわち今日のことばでいうエネルギーは創造することもできないし、破壊することもできない」(108ページ、英語版への序文より)
「思惟はエネルギーの一様式であり、脳髄の一機能である」(108ページ、英語版への序文より)
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